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(千日回向開始 @10)
2022(令和4)年度
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1・  1/ 8〜12/30 2・12/29〜 12/20
3・12/19〜12/10 4・12/ 9 〜 11/30 
5・11/29〜11/20 6・11/19〜 11/10
7・11/ 9〜10/31 8・10/30〜 10/21
9・10/20〜10/11 10・10/10〜 10/ 1

 

≫12/29/22(木) 初めまして191です。
昨日“こころ”の正体がわかった。右手で握ると異常に冷たい。自分のこころを左手に置いた途端、右手が異常に温かい。どちらにも自分を置くことができるようだ。昨今の寒中行は自分の置き場所を変えるて見ることで、いろんな試練に耐える訓練なのだろう。授業の中で度々説明する前に自分の意志(こころ)が、特定のこどもに、あるいは授業を受けるの大部分に伝えられていたりすることがある。そういうときにはことばを介さなくても伝えられていく不思議な経験を何度か体験した。やはりこれが担任になってしか経験できない経験だろう。あるいは美術という芸術を教える立場の人しか味わえない経験だろう。

 

≫12/28/22(水) 初めまして190です。

残すところあと三日。今日は起きたのは朝11時頃、正確には一度7時半ゴミの搬出で一度起きてからもう一度寝直し。その後いやな夢を見て目が覚めた。小4と退職前後の引きこもり寸前の布団の中でいつまでもこのままいたいという昔の思い出。教師の過剰な労働環境と偏差値偏重を取り除くために10番目の教科として総合、11番目に従来からの課外クラブに選択というのを入れたのがさらに現場に過重な労働を持ち込むこととなった。教育は100年の計というほど変えてはならぬ世界なのに上位志向の社会の世相を反映したゆとり教育へ落とし込もうとした。にもかかわらずかえって5教科偏重の波は学習塾の隆盛をもたらし、5教科の教師達はますます教育に生きがいを持って当たれるようになった。夏目漱石の“こころ”と“三四郎”という“1”か“9”のどちらが重要かという問題を定義しているのだが。ちなみに“1”は“いのち”であり“母国語”のことである。

≫12/27/22(火) 初めまして189です。
いよいよ年の瀬、長いコロナのトンネルから抜け出せるかの正念場である。あの岡本太郎は自分の所属の学校がいやで自ら何度も転校を選んだ。最後まであらゆるものを拒絶した結論が“明日の神話”という作品だ。既存の世界の延長線を眺め戦慄を覚えたのだろう。小さい集団であっても学級のリーダーである教師も自己の存立を危うくする公での場面に幾度か遭遇することだってある。その時、そのリーダーである教師が集団を代表するという自覚が強いほど、あぶない状況に陥ることもある。その時相手も同じ思いをしてることに気づき、どっちが自分なのかわからなくなることが何度かあった。シンギュラリティーが当初の予想より20年早まり、どうやら大阪万博の2025年に訪れるらしい。量子半導体技術(3Dウエハー)を用いた具体的製品が二律背反的機能の実現を目指すことでようやく他を批判することで利を得ようとする風潮が少しづつ解消されていくのではないか。まさに正念場である。

≫12/26/22(月) 初めまして188です。
クリスマスが終わると一斉にと年も終わり一年を振り返って来年の吉凶を占うメデイアの企画がさらに進化を遂げ目白押しになる。昨夜も大事を避けて入浴もしないで早めに寝た。それが功を奏し目覚める頃になると全くあの最悪の異変が元に戻っている。しかしまだまだ自己制御まではほど遠い感じだ。日本の経済も予断を許さない状況だ。1はいのちの“い”の“ち”、民衆を“生かさぬよう殺さぬよう”が江戸幕府の統治の指針、いまでも世界の金融安定に国内の消費税を使って制御を数字の統計学的予測で国民に押しつけ始めた20年前の愚策の反省のないまま今年も暮れようとしている。 喫緊の防衛費拡充、来年の広島G7への布石を内外に今年中に示しておくことは重要だが、財源の調達手法を再度来年早々じっくり時間をかけて計画する必要がある。数字で表れないやりがいが個々の努力と創意工夫の成果が生活の中で実感できるよう、うまく未来世界へ着陸(ランディング)できるようにしたいものである。

 

≫12/25/22(日) 初めまして187です。

今日はクリスマス。誰でも思いつきやひらめきや喜びを日常に感じながら生きている。生まれた瞬間皆100パー脳も感覚も全開である。それが日々の生活、仕事の中で放出しながら一生を全うする。昨日数パーの割合でギフテッド(天才児)なこどもが生まれるというが、大人側で分別してしまう。それがこども集団意識の形成時にも入ってくることで、ギフテッドなこどもが集団の中で活動しにくくして自己中な世界観の中で自分の活躍の場を拡大し続ける。睡眠7時間は左右上下を超えてナナめに活躍する時間確保のため現役睡眠時間である。老後は健康のため8時間と決めているが朝方胃が痛み9時間になった。どうも現役中のストレスによる痛みでない気がする。しばらく臓器のことばに耳を傾けようと思う。

≫12/24/22(土) 初めまして186です。
今日は枕元の時計で睡眠時間を9時間とって起床した。一番いいのが8時間、現役の時は7時間。退職後は6時間にしたことが自分の寿命を縮めることとなった。このとき嘱託で高次機能障害で数の学習で図形から数字を覚えるカードを作ったことがある。1はハートマークの真ん中に縦棒、7は紙を斜めに乗せナナ、8は蜂、9は過呼吸対処の絵、まさに現場でそのこと向き合っていろんなことを教えてもらった。“社会の成長はいつも現場にあり”である。

 

≫12/23/22(金) 初めまして185です。
ウクライナとロシアは兄弟国なのに、なぜ戦わなければならないのか。日本と朝鮮も大同小異。
どちらも民衆の中の異質な文化の排除や郷土愛の偏愛とエビデンス(信頼度)執着により活路を見いだそうとし、それをことばでロジステックに喧伝し組織(国や企業など)の上に立ち、戦いをその組織以外の人々に求める狡猾な知識人がいる限りその対立は収まらない。私も長年柔道を指導してきたが退職する時分には、今から20年ぐらい前のことだが、格闘技自体“あぶない”という偏見がだんだん強まっていった世相が広まってきたのを覚えている。

 

≫12/22/22(木) 初めまして184です。
かって私の父が生前、毎年この頃何百枚もの印刷された宛名書きを筆で書いていたことに影響され私自身も毎年宛名書きだけでなく、裏面の絵柄も手書き、木版、ステンシル、シルクスクリーン、プリントゴッコ、プリンターへと表現を変化させてきた。必ず出すと決めたらそれが重荷になるのでいつでもやめれるんだという気持ちでいても、結局いつも出している。それが去年から眼や様々な障害が生じたためにかなりの重荷となってきた。振り返れば父も同じことが起こって、認知症の症状を作り上げたのではとふと思った。それもそのはず昨日は今まで使ってきたソフトが今年使えない。また今年用のを買うようPC内で必要にせめてくる。少しでも安い買い方をしようとするとパニックに陥る。これが持病を結果的に悪化させ私の場合は即、死を呼び起こすことにもなる。実存哲学に傾注しこれからの私の芸術の方向性をフモール(悲壮美)としたことがまさか自分に訪れるとは思わなかった。これからソフトウェア革命を成し遂げようと世界が動きだそうとしているのに地獄から逃れるための“蜘蛛の糸”の場面を想像してしまう。幸い大分前に使ってた“アクセス”ソフトで危機を脱した。生きた証の節目が年賀状、上から命ずるものでもない。年賀じまいなしで、自由に突然やめてもいいと思う。

 

≫12/21/22(水) 初めまして183です。
環境が変わればオール1、これが小4の転校先の通知簿の私の点数。退職時に勤務評定での点数が1。いずれも5段階で最下位。胎蔵界の1から初めて金剛界1で終わる、これが日本のどこにでもある成長システムである。ちなみにそれ以後死んだら“ ”。退職時二つの大学院を卒業したのだが、それは芸術的価値を社会に高めるためとIT社会に向けての芸術分野発展の基盤作りを通じて、未来の新たな産業の新展開を真策するために、全く分野の異なる二つの最先端分野の先駆者の業績を受け継ぐ必要があったからだ。おかげで早期退職のため生活費と学費と住宅ローン返済をわずかの退職金でまかなうこととなった。今は相変わらず受益者負担で高額な学費を当然のごとく施行している高等教育なのだが、こうした自己犠牲に対しても何の報われることもないのが現状です。教育と医療は無償でなければ本当の理想の社会は訪れないような気がする。

 

≫12/20/22(火) 初めまして182です。
“こころびと 夢のかたちを つづれたら”ふとこんな句が頭にひらめいた。生きている限り人は何かのかたちでその足跡を残していくものだ。絵を描くこともその一つ。なのに人間は人と人との作品を比べたがる。美術の教師はまず最初にその現実に面食らう。それは退職するまでトラウマのように襲いかかる。それを拍車をかけるように1と2の違いや○となしとの違いの説明を要求する。学内成績と標準学力との整合性をどう保持するかに多大の関心が注がれる。

 

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